食味散歩 炭焼「ふじま」

不動産新聞42号の食味散歩欄に炭焼「ふじま」を取り上げました。
炭焼「ふじま」は清洲橋通りを上野小学校から北に歩いたところにあります。まだ8月29日に開店したばかりの新しい店です。当社のトップ営業ウーマン政川さんが賃貸店舗を仲介しました。
店主の藤間大助さんは、うなぎの名店「神田きくかわ」で修行した料理人で、うまい鰻を食べさせてくれます。
まだ3回しか店に通っていませんが、つまみ類はともかくとして、うな重はなかなかのレベルのものです。
今までは店主がほとんど一人でやっていましたが、嫁さんも店を本格的に手伝うとのこと、夫婦で頑張って東上野の名店になってもらいたいものです。
不動産新聞「食味散歩の本文
店には三つのテーブルしかなく、その真ん中の4人がけのテーブルに向かいあって二人は座っています。
まだ若い眉の涼しい色白の店主が注文した焼き鳥を一人で焼いています。
6時過ぎの店内はまだ客は社員と二人だけで、生ビールを挟んで会社の将来に向かって話がはずんでいます。
焼き鳥が新しいジョッキと一緒に届きます。焼きたての鶏肉を齧り、ビールを喉に流し込みます。二人の話は調子に乗って舞い上がっています。
遅れてきた店主の嫁さんが頼んであったまぐろと、はまちの刺身と、追加ビールを届けてくれます。
一時の後、元気な老人の6人組のお客がはいってき、奥のテーブルを占領します。それから、時をおかずサラリーマン風の4人の客が来て、店は一杯になり、一気ににぎやかになりました。
ひと段落したあとに、待望のうな重が届きました。ふたを開けると黒く光る焼きたての鰻と真っ白なご飯が現れました。山椒を振りかけていただきます。柔らかな鰻の蒲焼の身と、たれと、おいしく炊いたご飯の入り混じった味が絶妙です。

ふじまのうな重 これが竹 1800円 ちょっと気張りました.

 夜の店の表

高野山に行ってきました。

10月になりました。世の中はアメリカ発の金融危機で大騒ぎですが、上野はあまり影響ないようで、当社の実績はそこそこです。
当社の新人二人は、、ここのところ仕事をどんどん覚えてきて、契約を幾つか成約しました。頑張っています。
高野山にお参りしてきました。平成3年から同行三人で、半年に一回の参詣が途切れることなく続いています。宿坊に泊まり、翌朝暗いうちに奥の院めざして歩きます。墓と杉の大木が連なる参道の静寂を「南無大師遍照金剛」と唱えながら奥に進むと奥の院があります。ひたすら弘法大師さまにお祈りする満ち足りた時間がそこにあります。

最初から泊まっている宿坊赤松院です。

上野不動産新聞41号の制作

「上野不動産新聞の41号の制作を今日仕上げました。
毎年10回発行してきましたので、もう年目に入ります。本文は、前回紹介しました。
「食味散歩」は、周辺の飲食店を記事に取り上げてきました。今回は、「鳥元上野店」を取り上げています。本文は次の通り。
店は、駅前広場の北側のファミリーマートと富士そばの間の小路を少し入ったところにあります。
「どうかね 慣れたかね」
「はい、ようやくやっていける自信が少し出てきました」
店の中ほどのテーブルで新人社員と話しています。
店内は古い日本民家を模した内装で、薄暗く落ち着いた雰囲気です。
頼んでおいたランチ、鶏串焼定食の膳を紺色の制服の若い女性店員が届けてくれます。
焼き鳥2本とつくねが1本四角い皿にのっています。それに、五穀米のご飯、とろろ芋、浅漬け、鶏スープがついています。炭火焼の鶏の串焼きは、やわらかい歯ざわりでおいしく、つみて入りのスープはすっきりした上品な味でした。とろろをかけて食べた五穀米はさらさらと喉を通ります。五穀米はランチでは珍しくそれだけで得した気分になりました。
若い社員は、親子丼をおいしそうにかき込むようにして食べています。
不動産業は未経験で、最初は営業マンとしてやれそうに思われなかったのが、入社して四ヶ月経って、どうやら一人前になる希望が見えてきたようです。

不動産新聞42号の本文より

祝日の日会社に用事があり、お昼過ぎに用事を終わって、上野公園を歩きました。
秋晴れの久しぶりの行楽日和で、公園は沢山の普段着姿の人たちがそぞろ歩きで行き交います。日差しが少し暑く感じられるほどよい気温です。散歩を楽しむ人たちの明るい笑顔を眺めながら歩きます。
噴水の横ではテントを集めて「佐賀県物産展と大陶器市」が開催されていました。冷やかしに立ち寄って覗くと、地元産のみかんや、のり、寒天、銘菓が入り口に少し置かれているだけで、ほとんどのテントには名産の有田焼などの陶磁器が提示されていて、展示品を品定めする人たちで混雑しています。
桜並木の周りには所々にビニールシートを敷いて車座になったりして食べ物や、飲み物を楽しむ人たちがいます。中ほどの「時の鐘」のそばの交差点近くまで歩いて行くと、前方の人垣の中からにぎやかな音楽が聞えて来ました。、見えない人の背のむこうで大道芸人がショーを演じているのが分かります。
道を左に折れて、西郷さんの銅像に向かいます。日本芸術院の前あたりのも大道芸人の人だかりが見え、にぎやかな音が聞えてきます。
清水観音堂の横の大銀杏の木を見に立ち寄ります。毎年沢山の実を成らすその木が今年ははたしてどうなのか見たかったのです。そばによって大木を見上げると、こんもり茂った葉は緑ですが、上の方に黄色に熟した銀杏がびっしり成っているのを見つけました。
いつものように、西郷さんにご面会しに行きます。やさしい変わらぬお顔を見上げ、手を合わせます。近くの銀杏の木にも黄色くいろづいた実か沢山成っていました。
改めて気がついてみると、公園のなかに沢山あった緑色のテントの群れがどこにも見当たりません。庶民が楽しめる本来の上野公園が戻ってきたようです。

九月になりました。

九月になりました。
久しぶりの晴れですが、昼間は暑くなりました。
一日、先月の会計をまとめたり、書類整理をしたり終わってしまいました。
高校の同級会と高野山行きがダブってしまい、同級会をキャンセル。
新興の上場会社から社有物件のリストがファっクスで送られてきました。この会社も倒産リストに載っているのかと思ったりして。ここのところ毎日のように不動産会社、建築会社が倒産しています。
ところで、上野はどうも今回の不動産不況の影響はあまりうけていないようです。あまり恩恵を受けなかったかわりに倒産企業もないそんなところでしょうか。

日記を再開します。

ホームページを改造しました。これを期にしばやく止めていた日記を再開することにしました。

激しい雨が日本のあちこちに水害を発生させた翌朝、雨のあいまをぬって不忍池に行ってみました。不忍池は池一面に大きな蓮が溢れんばかりで、緑葉のうねる海原のなかに点々と咲き残った桃色の花が鮮やかに咲いています。すでに散ってしまった花のあとには如雨露(じょうろ)の形をした緑色の実が実っているのが見えます。もう秋がはじまっているようです。
「年々歳々花相似たり」と言いますが、都会にも季節は確実に訪れてくれるようです。

 

新年を迎えて

今年の初詣は、二日に地元の「下谷神社」にお参りしました。
参拝客は普段より多かったのですが、拝殿に小さな行列ができる程度で、ゆったりした気分で「今年が上野ダイフジ不動産にとって良い年になるよう」祈願しました。
お参りのあと、拝殿脇に置かれている縁起物のダルマや、招き猫をひやかして眺めていると、そのなかに千両箱を踏んで両手を上げためずらしい招き猫を見つけ、譲って頂き、会社に持って帰りました。
福を少しでも多く招きたいというささやかな思いで店内に飾ってみました。

昨年は、浅草寺に初詣に行きましたが、雷門の手前から参詣の人達がぎっしりで、仲店を通り抜けるのに大変な思いをしました。
また、一月六日に古里の人達と廻った谷中七福神参りはひどい雨で、びしょぬれで凍えながらの行程でした。
年初につまずきましたが、去年は、お客様のご支援と、社員が頑張ってくれたことにより、お陰様でそこそこの業績でつつがなく過ごすことができました。
これも、「上野不動産新聞」を三年以上続けてきたことによって、ようやく地元の皆様に会社を覚えて頂き、地元の業者として認めた頂くことができたことが大きく役立っているのではないかと思います。
ささやかな新聞ですが続けてきてよかったなーとつくづく思います。   

さて、今年の不動産市況はどうなるでしょうか

ここ二年間あまりの、土地転がしと云われても良いような業者間取引で、値上がりした四十坪位までの都心の土地や、小さいビル、一棟売りマンションなどの不動産の地価が昨年十月頃から下がりはじめました。
これは、金融庁の行き過ぎた取引の規制の指導が始まったことが大きな原因ですが、この傾向は今年もしばらく続きそうです。
しかし、遅れて値上がりした台東区は、影響少ないでしょう。

また、台東区のマンションや、住宅は、あまり値上がりしなかったせいで割安感が残っており、ある程度の取引は今年もあると思われます。
ある面で、今年は、じっくりと選べる住宅購入のチャンスと云えます。